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東京高等裁判所 昭和26年(う)6058号 判決

控訴人 原審検察官 宮本彦仙

被告人 岡本常明

検察官 中条義英関与

主文

本件控訴は之を棄却する。

理由

検察官の控訴趣意は本判決末尾添附の検察官検事宮本彦仙作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるから之について判断する。(原判決の理由には佐野庄平及び近藤ハナに対する各判決の理由をも援用しているから、これをも包含するものとして判断する。)

一、第一点の一及び第二点について。

先ず、被告人の本件行為が捜査官の言動と因果関係あるものなりや否や(控訴趣意書第一点の一、の部分)につき按ずるに被告人に対する原判決の理由自体中に引用の各証拠竝びに同理由に引用せる原審分離前の被告人佐野庄平に対する判決中無罪部分の判断理由に引用の各証拠を綜合すれば、右両判決の理由に説示の如く、初め昭和二五年九月頃右佐野庄平がその友人木下誉から自分は多量の生阿片のあるを知つているが、買受ける人を見付けてもらいたい旨話しかけられた事実を知つた桜井敏夫が警察当局を介して横浜C・I・D勤務の某刑事並びに同岩本宏及び同酒枝健にその旨密告し、関係官等と打合せの上、右生阿片等を真実買受ける者あるが如く仮装して右木下、佐野両名その他関係者一味を検挙する計画を樹て之により第一段として桜井より右両名に対し自分は阿片の買受希望者を知るにつき、その取引に斡旋されたい旨申入れ而して岩本及び酒枝両職員をその買受希望者の代理役を装はして交渉に当る者なりとして紹介し且つ佐野等において多量の阿片を買受させてくれるなら、佐野の渇望する事業資金三十万円をも融通する用意ある旨を屡々申入れるなど甘言を用いて同人等を誘導したが、間もなく木下は取引斡旋の熱意薄らぐをみるや、佐野に対し若し生阿片が入手困難なら他種の麻薬でもよいから斡旋を頼む旨申入れ、なお右金融の申出も繰返したので、佐野は岩本、酒枝及び桜井等の言を総て真意に出ずるものと信用した結果同年十月上旬中当時他人を介して知合つた被告人岡本常明に対し麻薬を大量にほしいから世話して貰いたい旨依頼したため、被告人は前記のような詭計あるとはつゆ知らず之を真意の申入れと解し、一両日後知人たる原審分離前の相被告人渡辺虎雄に交渉して同人から本件麻薬(塩酸モルヒネ注約六c.c.入四〇箇)を預かり同月十日過頃佐野に交付したが、同月十七日頃佐野から数量が不足なりとの理由で返却されたので被告人も亦渡辺に返戻したところ、同月十九日午前中佐野がやはり前の品物でよいから引取る旨申すので、被告人は再び渡辺から麻薬を受取り同日午後一時頃之を携えて原判示の佐野方に到り同人に之を渡したが、同日午後六時頃佐野と共に被告人方に来た捜査官たる前記某刑事から右麻薬の約定代金と称する金員を受取つた途端に麻薬所持罪の廉で検挙されたことを認めることができる。従つて、被告人の右所為は結局前記捜査官及びその協力者(いわゆる「おとり」)たる桜井等の企図する仮装的策謀(いわゆる詐術)によつて操縦された上捜査官所期の検挙に至つたものなること原判決に謂うとおりである。所論は、前記の如く操縦の衡に当つた桜井において阿片が入手難のときは他の麻薬を探してくれと申入れたことや三十万円融資の用意ある旨申入れたこと等は全然同人独自の意思によるもので捜査当局の計画外の処置であるから、これより捜査官の企画と被告人の前記麻薬携帯所為とは因果関係が中断されている旨主張するのであるが、前叙各証拠を綜合すれば、右捜査当局は要するに麻薬所持の形態を露呈する者を出現させて之を検挙する方針をたて、その方法として麻薬買受希望者ある故その取引に尽力せられたい旨仮装の事実を被告人等に申向け同人等の利慾心をそそり之により実際麻薬関係者の行動を起すを待つて検挙することの大綱は定めたが、その具体的詳細については協力者たる桜井に対しても逐一指定制限することなく同人の適宜取計らうところに委託した結果同人が右目的達成の手段として右の如き各種の申入れをも行つて犯意なき被告人等を麻薬取締に誘導すべく努力したものなることを推認するに十分であるから、これにより捜査当局の計画実施の被告人の前記行動との間には因果関係は始終連絡して中断される筋合のものではないと解するを相当とする。そこで進んで、被告人が右の如く佐野庄平方に麻薬を携帯したことが麻薬取締法にいわゆる「所持」に該当するや否や(控訴趣意第二点の部分)を審究するに、

所論は要するに麻薬所持罪はいわゆる抽象的危殆犯の一種に属し個々の場合には何らの危険が発生しないが大量現象としてみれば経験的に重大な危険又は侵害が伴うため法律が一様に禁止しているものであり、具体的な各所持の場合には危険の実在すると否とに拘らず成立する。故に本件の場合にも被告人の所為は実際上之により法益侵害の危険ありしや否やを問うまでもなく、苟くも法定の除外事由なくして前記麻薬を携えて佐野方に到つた以上同所における所持罪は成立する旨主張するものである。惟うに、本来麻薬の所持及び譲渡等を法律により制限する所以は、之を放置するにおいては、これらの所為により結局麻薬がその行為者その他不特定多数の者の放恣不適当なる使用に供せられ、その結果それら使用者の身心に極めて有害な作用をなし延いて之に関聯ある社会生活の諸方面に有形無形幾多の悪影響を招来する危険があるとこころから、麻薬の斯る性能に着眼しその濫用による被害を未然に防止するために具体的危険性の有無及び程度を問わず一律に制限を加えんとするにある。

従つて既に禁止ある以上之に反する各個の所為については特に具体的危険性の如何に拘らず斉しく取締の対象となすべきことは所論のとおりである。然し、これと趣を異にし、外形的には禁止行為に近似していても、その行為の本質上抽象的にも具体的にも斯る反社会的害悪発生の危険性を全然具有し得ない場合には、その行為者自身の主観的意思如何に拘らず客観的構成要件の欠缺により麻薬取締法の対象たる犯罪成立に至らずと解するを相当とする。

而して之を本件について観るに、被告人は前記の如く原判示日時に麻薬を携帯して佐野庄平方に到つたものであるから、同行動そのものを切り離して観察すれば一見普通の「所持」行為と異るところないものの如くであるが、一歩立入つてその行動の本質性格を検討すれば、それは抑々の発端から専ら検挙のために画かれた捜査官の企図(いわゆる詐術)に乗つて動き出し既に同様術策に陥つている佐野庄平の言を有りのまゝ信じ、そのため渡辺虎雄から本件麻薬を受つて佐野方に持込む行動を遂げ、その結果待ち構えた捜査当局によつて検挙されたのみで、いわば終始検挙そのもののために行動し尽したのである。行為者たる被告人自身はその麻薬につき普通の麻薬所持犯行の場合と異らざる意思はあつたにしても、現実に為すところは所持犯の場合に予想される危険性を生来的に欠いており、単に検挙網中において一名より麻薬を受取つて他の一名に伝達する機械的動作を為し、ひたすら捜査官の期待する検挙を受けるための軌道を邁進する役割を演じたに過ぎない。換言すれば麻薬所持の犯行に疑似する形骸はあるが、犯罪行為としての核心たる反社会的危険性が存在しないこと原判決援用に係る近藤ハナに対する判決理由に謂うとおりである。然らば、結局被告人の本件行為は麻薬所持罪に該当しないものであるから、同所為につき同罪としての該当法令を適用しなかつた誤ありとなすは失当である。

以上のとおりで、要するに、被告人の本件所為は罪とならないものであるから、同趣旨に解して無罪を宣した原判決は正当であり、之と見解を異にする右論旨は孰れも理由がない。

一、第一点の二について

所論の要旨は、犯罪の成否と捜査手続とは厳格に区別すべきであり、本件においても、被告人には現に麻薬所持罪の成立あり而して他に違法阻却の原由もないのに偶々捜査検挙の衡に当つた職員において初め被告人の同行為に対して何らかの起因を与えた言動があつたとしても被告人が右犯人としての責を負うべき立場に在ることに何らの影響もないと謂うに在る。然し、実体法的にみて被告人の本件所為が既に発端から罪とならざる性質のものなること前述の如くなる以上之に対する捜査職員の何人なりや又その措置の適切なりや否やは所詮同行為の無罪性に影響を及ぼし得る筋合の事柄ではない。

故に此の手続の方面からみるも本件所為を麻薬所持罪に問わなかつた原判決は結局において正当であり、論旨は理由がない。

そこで刑事訴訟法第三九六条により本件控訴は之を棄却することにして、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 佐伯顕二 判事 久礼田益喜 判事 武田軍治)

控訴趣意

第一点原判決が被告人の麻薬所持の行為を罪とならないものと断じたのは適用すべき法令を適用しない誤りがあり、而もその誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかである。(原判決は之に佐野庄平に対する判決並に近藤ハナに対する判決を添付し、本件行為を罪とならない行為と認めるべきこと右両判決に示すと同様であると述べるから、以下においては右両判決の記載もすべて原判決として引用する。)

一、本件被告人の所為はいわゆる捜査官の詐術に関連せしむべきものではない。

(一)原判決は捜査官の詐術が本件犯行に因果関係を有し従つて之に対して捜査官に責任があると云わんとするものの如くである。かくの如き論議は当該捜査官自身を麻薬所持の教唆その他に問擬するに等しく原判決の傍論に当該警察職員が不法所持罪の教唆犯とならないと断定することと矛盾するものであるがこの点を暫く措き、本件公訴事実が第四十四C・I・D所属員のいわゆる捜査行為に因るものと看做さるべきか否か、換言すれば右行為と被告人の犯行との間に原判決の云うが如く刑法上の因果関係と同様のものがあるか、否かを検するに右C・I・Dの通訳岩本宏及び酒枝健の両名は先に一私人たる桜井敏夫を通じて原審分離前の相被告人佐野庄平に対して同人が所在を知り得ると予想される特定の生阿片の引出方依頼していたのであるが前記両名は昭和二十五年十月十日頃右佐野方で本件塩酸モルヒネ注及び燐酸コデオンを始めて見せられ、この佐野は両名に対し「生阿片は差し当り見付からないから塩酸モルヒネ注射液二、三本を見てくれ」「若し之でよかつたら買つてくれ」と申入れたのである。(記銀一五六丁裏岩本宏の証言、一八四丁裏酒枝健の証言)。而も岩本は「桜井に阿片の話を持つて来たがそれは嘘ではないかと云つて証人が桜井を責めたような事実はないか」との質問に対し「生阿片があるのかないのかはつきりしてくれと桜井に云つたことはありますが、他の物で話の決末をつけてくれと云つたことはありません」と証言し(一六五丁表)、また「証人から他の薬でもよいからというような話はなかつたか」との問に対し「ありませんでした。何でもいいから出してくれとは桜井から云われました」と答え(一六八丁裏)、酒枝健は「証人等は品物を見る前に佐野がこのような品物を持つているということは予想していたか」との問に「桜井からであつたか、又佐野からであつたかは判りませんが生阿片はないがモヒやコデインはあると云つたような事を聞いたと思います」と証言し(一八九丁表、一九一丁裏)、桜井敏夫その人が生阿片が出なくなつたのでその代りに何か出してくれという様な話を自己が佐野にしたことを証言し(一九六丁裏)、しかも「証人はアヘンが駄目なら他の麻薬を探してくれとたのんだ事はあるか」と問われて「私はC・I・Dとは別個に自分でそのような事を佐野に頼んだのです」と明言している。(一九九丁裏)。のみならず佐野庄平の本件麻薬入手について決定的な誘惑となつた三十万円の融資の約束は桜井の証言によれば「そのようなうまい話を持ちかけなければコデインとかモルヒネ等の麻薬類は引出す事が出来ませんので私(桜井)がそのような作り話をしたのです」(一九七丁裏)というのである。以上によつて本件C・I・D所属員の桜井を通じての生阿片引出しの試みといういわゆる捜査行為と佐野庄平の本件塩酸モルヒネ入手の試みを媒介とする本件被告人の同麻薬所持行為との間には右桜井敏夫独自の行為が介入し両者の間の因果関係はこゝに中断されているものと認むべきこと疑いを容れず、果して然らば原判決の所論は既にその事実に関する前提において誤つているものと云わなければならない。

(二)原判決は本件捜査のやり方が明らかに積極的行動的計画的主導的な誘惑であるとするが捜査のやり方が如何に積極的能動的云々であるとしても、それが被告人の自由意思を失はしめるが如き程度に達しない限り被告人の罪責を阻却するものではない。また若し捜査官自ら入手先を指示したり、被告人が入手先を告げた捜査官の直接買取を望んだにかゝわらず或いは被告人の再三の拒絶にもかかわらず強いて被告人をして買取らしめたりする等のことがあつたとするならばこれまた場合によつては被告人に犯意なきものとしてその責任を阻却すると解すべきこともあろう。しかしながら本件においてはC・I・D所属員乃至は桜井敏夫に麻薬入手方依頼された佐野庄平が単に被告人に「麻薬はないかと云つて来ただけ(原審第四回公判被告人の供述記録二三三丁裏)であつてその麻薬の種類数量さえ示唆されておらず(記録同所)被告人は右佐野の言のみによつて麻薬の入手を決意して「探しておこうと返事」(記録同所)し、利得の目的を以て之を探索し且つ所持するに至つた(同右被告人の供述二三六丁裏、原審が証拠調をした昭和二十六年六月十八日附検事作成被告人供述調書第十、十一項)のである。被告人は自ら麻薬所持を決定し自ら行動を取つたのであり、しかも決意以後の犯意の持続及び行動はC・I・D所属員の所為とは全く独立したものであつて、尓後の事態の経過は全く被告人自身の支配圏内にあり、被告人は自己の自由意思、自己の知識及び自己の行動能力に基いて行動したものなのである。原判決は本件捜査のやり方は既に麻薬を不法に所持していた者の犯罪発見の方法としては有効でその者を処罰することには何人も異議はないが被告人のように捜査官のトリツクにより麻薬を所持するに至つた所為については不当であると論断しているけれども、麻薬の買受申込に対して唯々として之に応ずる者が当初から所持していた麻薬を売渡すにせよ、既知の入手先から入手して売渡すにせよ、自ら狂奔して入手先を発見した上入手して売渡すにせよその間実質的に如何程の径庭ありや。原判決の如き機械的区別を施す根拠は到底之を見出すことができない。因みに原判決は本件被告人は近藤ハナにおけるように従前麻薬を取扱つたというような事跡はないことは特に明かにせねばならないと附言するけれども、そのことは本件の無罪理由に何等の論理的関連を有していないこと原判決の行論自体より明かである。

二、捜査の端緒と犯罪の成否との間には法律上の関係はない。

(一)およそ裁判における審理は量刑の点を除き専ら公訴の対象となつた事実(被告人の責任及び行為の違法性の問題を含め)の存否に限定せらるべきであり、何人が捜査したか、捜査の方法如何というが如き問題はそれが公訴事実の存否の確定に必要な限りにおいてのみ焦点たるべきものである。原判決は本件捜査が連合国所属の機関によつて行われたけれども、事件は日本側検察庁に引継がれ原審裁判所において審判において審判すべきものとなつた以上はすべて我国捜査機関がこれを行つたと同様に観察し捜査の当否を判断すべきものとするのであるがこれまたあまりにも機械的な観察である。法律上検察庁は右機関から事件を引継いだとの証拠も原審記録中には存在しない。検察官は如何なる端緒により之を認知したかを問わず起訴すべき犯罪ありと思料するときは之を起訴することが任務であつて本件においては司法警察員の送致によつて右機関が干与した本件事実を認知したに過ぎない関係にある。若し検察官が私人の告訴告発によつて本件事実を認知したとすれば原審は本件のいわゆる捜査が本件裁判に対し如何なる影響を及ぼすものとするであろうか、捜査の端緒の不法は起訴の不法、若しくは無効とは全く別個の問題であり況や実体法上の犯罪の成否とは全く別個の問題である。原判決の思考の根底には裁判が捜査の延長又は引継であるという誤つた観念が潜んでおり、その観念が元来公訴事実に関係のない捜査の当事者及び方法如何の問題を犯罪の成否に結び付けたものと云わなければならない。

(二)本件公訴事実そのものについて之を見るに被告人に本件麻薬所持なる行為があつたこと並びに帰責条件の欠缺がないことは原判決自ら認めるところであり、またこの行為に正当防衛、緊急避難その他違法性を阻却する何等かの事由が存することを原判決が認定したものでもない。しかもその行為たるや麻薬取締法第三条第一項、第五七条の構成要件を完全に具備したものなのである。かかる行為が如何にして罪とならないものと解されるであろうか。原判決の述べるところは頗る多岐に亘るけれども本件犯罪の成否の判断について必要な限りの行論について之を見ればそのいわゆる捜査行為が詐術であつてその不当違法である所以を詳述し、それが不当であるが故にかような措置を正当として肯定し被告人を処罰することは憲法前文及び同第一三条に牴触し、従つてかような行為は罪とならないものと解しなければならないというに解する。(イ)若し右行論の意味するところが憲法を離れた法律の下においては犯罪が成立することを認め乍ら犯罪の成立はあるが之を処罰することのみが違憲であるとするならば本件行為を刑事訴訟法第三三六条によつて罪とならないものと判断したことは明白な矛盾でなければならないし、また、被告人を処罰することは必ずしも右にいわゆる捜査行為を正当として肯定するものではないこと云うを俟たない。(ロ)仮に原判決判示のC・I・D所属員の行為が本件の捜査行為と目すべきものであり、又本件被告人の行為が右捜査行為と因果の関係にあり、更に右捜査行為が不当且つ違法であるとしてもその何れの事情も本件犯罪の成否とは別個の問題であつていやしくも可罰的犯罪たるの要件を尽く具備している行為が罪とならないという根拠にはなり得ない、極端な設例として捜査官が検挙を目的として他人に殺人を指嗾して実行せしめた上これを逮捕したにせよ、この殺人は捜査官の誘発に因つて成立した犯罪であるがこの殺人は罪とならないと解することができるであろうか。蓋し犯罪の成否はそれ自体独立して判断せらるべく若しその行為が法定の構成要件を充足した上、別に責任又は違法性を阻却する事由がないならばこゝに犯罪の成立あり、行為者は正に法定の刑罰を以て処断せらるべきであり、捜査の端緒若しくは捜査官の行為如何は犯罪の成否には何等法律的連繋のない別個の問題であるからに他ならない。この点につき麻薬所持犯その他如何なる犯罪においてもその理を異にすべき所以を知らない。(ハ)更にまた或る行為が法律所定の要件を具備するとき之に所定の刑罰を以て臨むという司法作用が或る特定の場合には違憲であり他の場合には合憲であるというが如きことは思考し難い。若し或る法律に従つて処罰することが違憲であるとすれば、それは当該法律自体が違憲であるか、若しくは当該行為が構成要件その他所定の処罰要件に該当しないか、の何れかでなければならないが、後者の場合にはその実既に合憲性の問題ではなくして当該法律の解釈の問題であり、若し本件公訴が適用を求めた麻薬取締法が違憲でないことを前提とするならば本件犯罪の成否従つて刑罰権の有無は専ら該法律の下において決せられなければならない。憲法第一三条はすべて国民は個人として尊重され、生命自由及幸福追求に対する国民の権利は最大の尊重を必要とする旨規定しているのであるが、すべて刑罰は之を受くる者の自由及幸福追求に対する権利を束縛するものであるとは云え右条項が処罰の要件を具備した犯罪者を処罰することを禁ずるものでないことは言を俟たないのであつて或る法律の下において処罰要件を具備し犯罪者を処罰することが何故特定の場合には直接右憲法の条項に牴触するか、原判決は何等判示するところがないのである。

(三)元来罪を犯す意思のない者が捜査官の設けた陥穽に陥つて始めて罪を犯すに至つたとしても、かくの如き者に対する処罰を避けるには二つの方途しかあり得ない。一は当該法律に右のような場合にはその法律は適用されないという条件乃至但書がついているものと解することであり、他は裁判所が事案の実体的審理を拒絶することである。(of. Robert, J.in Sorrels v.U.S, 287 u s 435 団藤重光、刑法雑誌二巻三号三九頁以下)。しかしながらわが成法上前の途を取るに由なくもとより後の途も開かれていない。蓋し右の場合においても免訴または公訴棄却の理由はないからである。ただし若し本件に現れたC・I・D所属員の行為が不当であるならば原判決所引の憲法の前文なくとも不当であり、若し本件被告人の所為を処罰することが不当であり違法であるならばたとえ旧憲法の下においても不当であり、違法であるべきはずであることを付言したい。原判決が引用する憲法前文の一部は原判決の行論中そのいわゆる捜査行為の不当を論難するに際して一つの気勢を添えるものとして利用されているのであるが結局右前文が憲法第一三条と共に本件を無罪とする直接の根拠とされているのである。かくの如き一般的条項や「主権の存する国民」等の語句を無雑作に振廻し、以て犯罪の成否又は処罰権の有無というが如き最も厳正を要する法律問題を決しようとすることがわが司法の作用に極めて危険であることはこゝに特に注意を喚起して置かなければならない。

第二点原判決が本件麻薬所持には抽象的危険がないから罪とならないとしたのは法令の解釈適用を誤り判決に影響を与えたものである。

(一)麻薬取締法の窮極の目的は、麻薬の不適正な使用が人の健康に有害な影響を与えるから之を防遏しようとするにあるのであつてその害悪の特性よりして取締の対象を単に切迫した危害発生の場合に止まらずこのような危害を生ずる心配のある段階にまで遡つてこれを拡張したものとする原判決の見解はその限りにおいては誤りとは云えない。然しながら原判決の如く「切迫した危害」を具体的危険とし「このような危害を生ずる心配のある段階」を抽象的な危険性の段階と称することは、用語は各人の自由であるとしても、少くとも通常の講学上の用語法を濫用するものであるのみならず、抽象的危険性の本旨を誤まるものである。蓋し通常の用語法として、具体的危険と抽象的危険とはその危険の現実的法益侵害に対する現実的距離の遠近を指すものではないからである。事態を明確ならしめるため、法益の現実的侵害を要件とする通常の犯罪に対し法益の現実的侵害には至らないが、その危険のある行為を罰する場合を分類すれば左の三とする。(R. v. Hippel, Deutsches Strafrecht B, dIIS, 100ff )

(イ)健全な判断に照らし、その行為に当つて法益侵害の危険を生ずるもの。かくの如き危険が犯罪の個々の場合に必然的に存在することが特徴であつて、これを具体的危殆犯と称する。(ロ)一定の構成要件が実現すれば通常危険であるもの。立法者はかゝる構成要件を列挙して裁判所の仕事をかゝる構成要件の有無の単純な確定に限局するのであり、その際偶々具体的には危険のない場合が紛れ込み、又は具体的には危険な場合を逸脱しても巳むを得ないものとするのである。(ハ)個々の場合には何等の危険も発生しないけれども大量現象として見れば経験的にこれに重大な危険又は侵害が附隨するが故に法が刑罰を以て禁止するもの。此れを抽象的危殆犯(Binding, Normen 2.Aufl B,d 1S 372 )と称せられる。而して麻薬所持罪が右(ハ)の範疇に属するものであることは疑いないのであつて、行為の危険性の観点に立つとすれば麻薬所持罪は正に抽象的危殆犯である。それ故に麻薬所持罪にあつては個々の具体的な所持の場合に果して危険(その法益侵害からの遠近を問わず)が存在したか否かは問う所ではないのみならず、その所持なる行為がそれ自体法益侵害の危険あるものであるか否かも問題となり得ない。この意味に於ける抽象的危殆犯の存在は、原審の想像し得た所であつて、原判決は抽象的な危険なる語を以て、単に現実の危害より遠距離にある危険を想定したに過ぎないが如くである。

(二)即ち抽象的危殆犯にあつては危険の存在は立法理由、換言すれば立法者がこれを処罰せんとする動機たるに過ぎないのであつて、現実的危険の存在はその構成要件でないのみならず処罰要件でさえない。立法者は斯くの如き行為に一般的危険が附隨するものと思料してこれを犯罪なりと宣言したのである。抽象的な危険性の存在は麻薬所持罪の外に存する「当然の前提」ではなくて、寧ろ本罪に内在するその属性である。然るが故に個々の事案につき現実に危険があつたか否かを審理し、現実に危険がなかつたとの故を以てその行為を罪とならずとするならばそれは立法の趣旨を全く没却するものである。例えば、同じく抽象的危殆犯に属する道路交通取締法に於ける自動車の速度違反の如く、各個の具体的な場合には何等公共の危険を生じないものがあるが、具体的な場合に危険を生じなかつたとの故を以て同法違反の罪とならないとすることが出来ようか。

(三)されば原判決がその所謂抽象的な危険が存在せず又は除去されている様な場合には不法所持罪が成立しないとすることが出来ると立言したのは明白な誤りである。

原判決は被告人が入手して持参する麻薬には、その所謂抽象的危険は客観的に取除かれているとするが、若し本件に於て客観的に取除かれているものがあるとすれば、それは本件の具体的行為に附隨する具体的な危険であつて通常の用語の意味に於る抽象的危険ではない。麻薬所持にあつてはたとえ具体的には危険がなくとも抽象的には危険は常に存在する。これ抽象的危険たる所以である。蓋し麻薬所持は譲渡の相手方又は更に譲渡されることあるべき人々に対する犯罪ではなく、それ自体が社会一般に対する犯罪であるからである。

(四)飜つて原判決の設例を見るに、麻薬施用の免許を受けた医師が麻薬を所持する場合は通常犯罪は成立しないが若しその業務の目的以外のために所持するときは、違法とされること正に原判決の説く通りであるが、麻薬施用者の業務目的を以てする所持といえども具体的な場合には危険な場合なしとせず、逆に業務目的以外の所持又は麻薬取扱者でない者の所持といえども具体的な場合には危険のない場合もなしとしない。さればとて具体的な危険の有無を区別して場合により、麻薬施用者の業務目的の所持にも不法所持罪の成立ありとして逆に業務目的以外又は麻薬取扱者でない者の所持に犯罪の成立なしとすることは出来ない。何となれば麻薬所持罪は法定されたものでありその危険性は立法に対して、高々動機として作用したに過ぎないこと前述の如くであるからである。而して本件の如く何人にも所持を禁止された、ヂアセチルモルヒネ及びその塩類についてはこの理は一層見易い所である。

(五)原判決の他の設例たる警察職員が捜査により押収した麻薬を所持しても罪とならないことは、刑法第三十五条所定の違法性阻却事由の存在を以て端的に解決すべきことであり、具体的乃至は抽象的危険の存否とは全く別問題であつて、正当業務による麻薬所持には偶々危険の存在しないのが通例であるという偶然の一致があるに過ぎない。

仮に警察職員の右の如き所持に危険(この危険は通常の用語法によれば抽象的危険ではない)が伴つた場合にも、苟しくも正当業務として所持するものである限りこゝに不法所持罪の成立を肯定することは出来ない筈であり、若し当該警察職員がその麻薬を正当業務以外に使用しようとしたならば別に何等かの犯罪が成立することがあるのは勿論であるが、それはその行為に右刑法第三十五条の適用を見なくなるが故に他ならない。

(六)尤も原判決は本件においては国家機関がその責任において被告人に所持させたものであるが故に、仮に事実上危険の除去に粗漏なものがあつたとしても、その粗漏によつて生ずる抽象的危険(これまた通常の用語法に反する)の存在は国家機関の側より問題にすることを許されないと述べているが、これは抽象的危険なしとする所論に矛盾するのみならず、国家機関の責任を論ずるものとして危険の有無には関係のない事項であり、未遂犯としても問擬するを許されないと述べるのも、若し具体的に危険を生じない所持は通常の場合未遂として問擬すべしと云うものならば之また誤りであること以上に述べた通りであつて、原判決は本件において問擬を許さない根拠を同様に危険の有無に関係なく責任が国家機関にあることに置くが如くであるが、国家機関の責任が犯罪の成否を左右するものでないことは論旨一点において既に述べた通りである。

即ち原判決は犯罪における危険性の意義を理解せずして抽象的危険と具体的危険とを混同し、以て本件における被告人の麻薬所持にそのいわゆる抽象的危険が取除かれていたから本件所持は罪とならないものと誤断したのであつて、従つて適用すべき法令を適用しない誤りに陥つたものである。

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